7.Storm-Glass History | ||
気象学の開祖[1]のひとりであるロバート・フィッツロイ (Robert FitzRoy) の記述[2]によると、ストームグラスは Corti という人物が最初に考案した。Malacredi というイタリア人によってイギリスに持ち込まれ、ストームグラスとして一般に知られるようになった。19世紀初期にはすでに航海時における天気予報の道具として使われていた[3]。 フィッツロイ自身もストームグラスに大きな関心を持ち、彼が船長を務めたビーグル号の探検航海中、ストームグラスの様子を観察し、変化を詳細に書き残している。また、フィッツロイが1860年に考案したフィッツロイ・バロメーターと呼ばれる装置[4]にも、温度計や気圧計とならんでストームグラスが取り付けられている。1870年に発表されたジュール・ベルヌの小説『海底二万里』に登場する潜水艦ノーチラス号にもストームグラスが設置されている[5]。(Wiki) |
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[2]Proceedings of the British Meteorological Society, 第 1 巻 p72, Taylor and Francis, London, 1863. | 原文 | 意訳 |
Admiral FitzRoy describes the origin of the instrument popularly known as the "Stome-glass" "Some forty years ago an Italian named Malacredi introduce*what was called a 'storm-glass' into this country. He was then with Mr.Troughton, the well-known optician ;" and is "well remembered by the Agent for the Admiralty and Board of Trade Publications, Mr.Potter,81Poultry London." The admiral has satisfied himself that the contents of these glasses vary in character with the direction of the wind and its electrics tension. He discribes the features presented under various conditions of wind, &c. *Admiral FitzRoy has since learned that Malacredi was produced by Corti, who seems to have been the originator. |
FitzRoy提督は、一般に「Stome-glass」として知られている器具の起源を解説します。”約40年前、イタリア人でMalacredという人*がこの国で『「Stome-glass』と呼ばれるものを紹介しました。 彼は、それからMr.Troughtonと共に,よく知られている検眼士;” そして、「よく、海軍本部と商務省出版物(Mr.Potter,81Poultry London)のためにエージェントによって記憶されています」。 海軍大将は、これらのstorm-glassの内容が吹き回し(風向き強さ)とその電気張力によって色々な形状を捉えることを納得しました。 彼は、いろいろな風の状況の下、温度での表現の特徴を説明しています。 * FitzRoy提督はMalacrediは、コルティによって作られたものを紹介したことをその後知りました。そして、その人は創始者であったようです。 |
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[3]Ample instructions for the barometer and thermometer p72, Taylor and Francis, London, 1863. |
原文 |
意訳 |
Prognostication or storm glass a new curious instrument *Strom Glasses are cylindrical,and are, placed round cases about 13 inches long by 1Ø diameter |
予測または暴風雨予報器 新しい奇妙な器具 * Storm-Glassは、円筒形で、そしてそれは、1Ø 直径X長さ13インチ位です |
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[1]19世紀には科学的な天気予報が成立する。1820年にブランデス(英語)が初めて天気図を作り気圧配置と天気の関係を明らかにした。1837年に実用化された電信によって、気象観測データを瞬時に集めることが技術的に可能になる[1]。ただこれはなかなか実現せず、1845年に初めてジョセフ・ヘンリーの主導でスミソニアン協会が運営するアメリカの気象観測網ができた。1854年にはイギリス商務省の中にロバート・フィッツロイを長とする海の気象観測を担当する組織が発足し、同年にイギリス気象庁として分立される(世界初の国家気象機関) [4]温度計や気圧計、ストームグラス、湿度計、などが取り付けられている気象を観測する装置。 [5]ノーチラス号の最高速度は50ノットで、排水量は通常時1356.48トン、潜水時1507トンである。船体は紡錘形をしており、防水隔室によって区切られた二つの船体から構成された二重船殻構造を持つ。また、船内には150.72トンの容量を持つ主タンクと、100トンの容量を持つ潜水用補助タンクの二つバラストタンクを有している。 |